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SAMU日本語学校の運動会です。韓国、中国、台湾、ラオス人のクラスメートです。ブラジル人は私一人でしたが、正直なところ寂しいと思ったことは一度もありませんでした。
そして画面右側が高橋伸壽(タカハシノブヒサ)校長先生です。高橋校長のお陰で入学できました。
日本で勉強を始めたきっかけはアルバイト先の仕事仲間であった及川くんのお母さんが在日外国人に日本語を教えていたからでした。
及川先生にSAMUスクール・オブ・ジャパンをご紹介していただきましたが、当時、困った事に入学金の(数字はまずいかな?)○○○.○○○円が全然ありませんでした。
入学の面接へ行く電車代も(府中駅〜新大久保駅)銀行の全残高2.000円を引出して行った事をいまだに覚えています。(笑)
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来日してから入学するまでの間は毎日のように「パチンコ」や「競馬」にはまっていました。給料もぜ〜んぶパチンコや競馬にかけて食べていくのもギリギリでした。(笑)
そのころ印象に残ったことは、入学金の問題を高橋校長に説明したとき校長が言った「免除」という言葉。生まれて初めて聞いた単語でした。
「免除?なにが免除だ?」と校長に聞こうとすると、立ち会っていた及川先生が「ほら!よかったね!」頭を下げて感謝しなさい!と私に言ったのです。
それで、「ア!これは入学金が要らないと言うことだな」と気づいたのです。
「なにが免除だ?」って言う言葉は、当時の私の知っている限りの日本語で「免除ってな〜んですか?」を意味していました。
今まで何度も、こういう感じの日本語を使って誤解をまねいてきました。 (今でこそ笑い話ですが、来日当時はかなりありました)
ご迷惑をおかけした皆さん、ごめ〜ん!
当時の私は日本語が全く話せなかったわけではありません。親父は長男で、祖父と祖母も一緒に生活していました。
今となっては、毎日のように感謝するようになりましたが青春時代は結構イヤな思いをしました。
たとえば家族そろって食事をするときに兄弟同士でポルトガル語でペラペラしゃべると親父は「おじいちゃん、おばあちゃんはポルトガル語が理解できないんだぞ。
オマエら日本語ができないなら外へ行って食って来い!」と厳しくしかりつけられました。
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当時の私は「なんだこのクソおやじ!爺さんこそポルトガル語勉強しなよ。ここはブラジルだぜ!」と思っていました。
でもこれは間違いでした。親父はもちろんハ、お爺さんのことも考えていたわけですが、我々兄弟にはどうしても日本語、コンピューターと英語は勉強して欲しかったらしいです。
「君らの時代は「この三つのドウグ(日本語、コンピューターと英語)」は必ず必要となってくる。
それができないと父さんみたいに苦労するぞ」といつも口にしていたことをよく覚えています。
そして、あれから20年がたち、100%親父が言ったとうりになりました。私は今、三つの事ができるようになって幸せです。
日本語の勉強を始めることも親父のお陰で、他の生徒より一歩進んでいたことは確かです。
それは物を数える1本、一匹とかで気づきました。ビールは1ポン、2ホン、3ボン・・・そのポン、ホン、ボンと言う独特な数え方が外国人には大変なんです。
最初の5,6ポンまではなんとかうまくいきますが7本からはシチ・ボンとか8本がハチ・ポンとか9本がクー・ホンとかでなかなかうまく覚えられないらしい。
そして1匹、2匹(ピキ、ヒキ、ビキ・・・)も同じ苦悩を!私の場合は幼いころから日本人のように自然に覚えてきましたので苦労しませんでした。
また、現在、コンピューターができるようになって、なんて自分は幸せな毎日を築いているのだ、と実感しています。
ここで今このホームページを誰にも頼らず、100%自分で作成できているのも幸せの一つです。そして英語も多少話せるようになり、世界へ一人で旅に出ていけること。
ピンポン! 親父!ありがとう。
残念ながら上記写真ではご案内できませんが「中渡瀬(ナカワタセ)先生及び及川先生、心から感謝しています。
一生忘れません。サム日本語学校、高橋校長ムイト・オブリガード!(本当にありがとう)
SERGIO NORIO MAHOE -Tokyo Jan, 18 - 2.002
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